life×art interview

自作の面で舞う         日本でただ一人の能楽師

金剛流能楽師 宇髙通成さん

 

ら能面を打ち、自作の面(おもて)で舞う、日本でただ一人の能楽師・宇髙通成(うだかみちしげ)さん。面をかけて無心に舞台に立つ時、大きなエネルギーが舞い降りるのを感じることがある。常世と現世をつなぐ能の舞台は多彩なイメージがあふれている。「世界に類を見ない能楽を映画のようにポピュラーにしたい」と、かろやかに語る。

 

   師匠が認めてくれた能面作り

 

 平成24年9月に京都・金剛能楽堂で開かれた「宇髙青巌能之会」。宇髙さんは、「童子」の面をつけて、不老長寿の菊水を飲んで700年の時を生きた「枕慈童(まくらじどう)」を舞った。

能の「童子」は、永遠の若さを象徴する超自然的な存在。能面にも無垢な少年の顔に気品と妖気が漂っている。宇髙さんが舞台でかける面はほとんどが自作だ。 

 「子どもの頃からなぜか人の顔や仮面が好きで。粘土を触っていると、自然に像になっていった」。小学生の時には小さなブロンズ像を作り、中学生になると美術部で本格的な像を制作した。

金剛流宗家へ内弟子に入り、住み込み修行をしていた18歳の時にたまたま趣味の会の能面作りを見て、雷に打たれた。

「これは私のやるべき仕事だ!」

すぐに見よう見まねで能面を作り始めた。自分の部屋でこつこつ彫っていた能面が、ある日、師匠の25世宗家、2世金剛巌氏(故人)の目に止まった。能楽師と面打ちは職分が異なる。まして謡も舞も中途半端な修行中の身で許されることではない。だが、師匠は「ほう、器用なもんやな」と言って咎めなかった。

「先代はそういうことに理解があったんですね。その頃はお能の後、装束を片付ける役だったので、優れた能面を自由に見ることもできました」。

 

   「孫次郎」の幽玄美

 

 能楽師として自分がかける面を打つことは、宇髙さんにはごく自然なことだった。役者の精魂を能面に込め、その能面を舞台で生かす。これまでに打った面は40近くになる。

 「能面は形だけでなく、光と影が作り出す表情も含めて能面といわなければならない。良い面は場面によって肌の色まで変わって見えるものです」

なかでも「これにはおもしろい話があってね」と、見せていただいたのは「孫次郎」。妖艶な美しさをたたえ、能の幽玄美を具現化したような小面(若い女面)である。

「この孫次郎は、形や色、表情、すべてがぴたっと決まって、自分でも不思議なほど何の苦労もなく、するっと出来上がった。抜群にバランスが良くて、『熊野』や『松風』など多くの舞台で助けられています。ところが同じ面を打ってほしいと頼まれて二つ返事で引き受けたものの、意図して作ろうとすると何度やってもうまくいかない。無意識だからできたことで、これは能の舞台にも通じています」

 

      能楽師は能面を生かす土台

      いかに表情を醸し出せるか

 

能面は「曲の位を支配する」といわれるほど、能楽師にとって重要なものである。能面の基本型は約60種あるが、一部を除いて役専用の面はなく、どの面を使うかは、シテ(主役)に任されている。

「能では、装束を付けた演者がどんなに素晴らしくても、演者が主役になることはない。最終的に能面がどんな風に生きたか。能楽師は能面を生かす土台でしかないんです」

先代の金剛巌師は「あんなええ面を使うたって、十分使いこなせへんで」と、よく言っていたそうだ。逆に「面がよく見えたわ」と言う時は、シテに力量があったということになる。 能面と一体化して、わずかな動きや角度で、いかに表情を醸し出すか。そこが能楽師の技である。 

 

 無心に舞い、主人公の魂を解放する

 

 「幾度も稽古を積み、無心で舞台に立つ時、自分が限りなく小さくなって、何か大きなエネルギーに舞わされていると感じることがある」

 能の主人公の多くは、亡霊や神、草木の精など、霊的な存在である。無念の思いを抱えて亡くなった主人公が一生の中で最も訴えたかったことを深く表現し、舞い奏でて、成仏させる。能には魂の救いや鎮魂の思いが込められている。現代においても変わらない究極のテーマだ。

 能が完成した室町時代、人々は常に死と隣り合わせに生きていた。世阿弥や禅竹(ぜんちく)が奈良・長谷寺で修行をしていたことにならって、宇髙さんは密教の修行を修めた。能楽師なのに抹香臭いと批判されたこともあるというが、本当にそうだろうか。

「例えば、『天鼓』の謡の文句の中には、輪廻転生など仏教的な教えが実にうまく盛り込まれています。今でいうサイエンスにつながる事柄もある。いちばん良いのは、ストーリー性から宗教性まで、囃子方(はやしかた)や地謡(じうたい)、シテやワキもみんな同じベクトルを向いて束になって演じること。そうすればもっとすごいことができるのではないか」

 

 

   新作能「祈り(原子雲)」に

   込めた思い

 

 新作能「祈り(原子雲)」は、黄泉の国を舞台に、原爆で娘を失った母親の魂が、若木に生まれ変わった娘と再会する物語だ。公演のために広島を訪れた際、宿泊先の庭に水を求めて被爆者が殺到した井戸が祀られていることを知って、制作した。2003年に初演。2007年に文化庁国際交流事業として、パリ、ドイツのドレスデン、ベルリンでも上演された。

 「ドレスデン国立劇場では、1000人近いお客さんの感動のウェーブが舞台まで届いて、こちらもそれに共振してすごかったんです。囃子方が泣いているのがわかるほど。ドレスデンは第二次大戦の無差別爆撃で街のほとんどが破壊されました。市民の人たちは、共に霊を慰めている意識だったと思います」

 だが、パリやベルリンでは全然反応が違ったという。現世のことに囚われて、見えない世界に人々の心が及ばなかったのかもしれない。見えないものを心で感じる感性は、能が生まれた日本でも失われつつあるのではないだろうか。

 

    能を映画のようにポピュラーに

 

 宇髙さんの下では、外国人や女性を含む約20人の指導者が育っている。早くから「国際能楽研究会」を創立し、海外で能を教えてきた。英語も堪能。能楽という伝統的な世界に生きながら、権威とか制度があまり好きではない。その一方で、松山藩お抱え能役者の家系を継ぐ者として、明治まで続いた松山稽古舞台を再興し、後進の育成に力を注いでいる。

カナダへ能の指導に行った時、生徒から「宇髙先生は来世は何になりたいか」と聞かれて、「フィルムメーカーになりたい」と、答えた。能は世界に誇れる伝統芸能だけれど、映画のようにポピュラーになるためにはどうしたらよいのか。

「謡の本から小説を作り、脚本化して映画にすれば、能の素晴らしさを世界に伝えられるかもしれない。そうすればオリジナルの能を観たくなるはず。私がそのお膳立てをしなければいけないと思っています」

宇髙さんは、1作目として「熊野」を短編小説に仕立てた。お弟子さんの間では、「宗盛って弱いのに冷酷で女好きと思っていたけれど、見方が変わっておもしろい」と、好評だ。「羽衣」の漫画バージョンも作っている。お話を伺っていて感じるかろやかさは、土佐藩お抱え狩野派絵師で坂本龍馬の海援隊を指導した河田小龍のひ孫ゆえかも。

「能面を打って、小説を書いて、映画も作って。お能をやる時間がなくなりますね(笑)。後は、思し召すがままです」

 

 《プロフィール》

 1947年生まれ。シテ方金剛流能楽師。重要無形文化財総合指定保持者。

 金剛宗家・二世金剛巌師に師事。これまでに「翁」「道成寺」「卒塔婆小町」「木賊」「鸚鵡小町」などをひらく。

 85年に国際能楽研究会創立。松山藩お抱え能役者の家系を継ぐ者として、91年に初世宇髙六兵衛喜太夫追善能を開催し、97年松山稽古舞台を再興。2003年10月から能の大曲に挑む新たな試み「三輪清浄」を東京・国立能楽堂でスタート。2007年4月世界遺産・厳島神社・御神能で「翁付・高砂」を宇髙家として奉納上演する。

 世界平和祈願「原子雲」など新作能も多く手がける。能楽師にして唯一の能面作家として面乃会を主宰。京都・松山・岡崎・横浜・東京で、お能・謡・仕舞の教室を開催。

  (写真提供:宇髙通成氏、写真:片山通夫氏 文:赤坂志乃  Lapiz2012冬号掲載)