life×art interview

日本の色は自然とともに                          時間をかけて生み出されてきた

染師・染織史家・「染司よしおか」五代目当主 吉岡幸雄さん

 

 花実や木の根など自然から色を汲みだし、いにしえの彩りを現代に蘇らせてきた、吉岡幸雄さん。平成二十三年に東大阪で開かれた「日本の色 千年の彩」展で吉岡さんの仕事を間近に見て、植物染の透き通 るような色鮮やかさに心が震えた。 

吉岡さんは、江戸時代から二百年続く染屋の家に生まれ、出版や広告のアートディレクターの仕事を経て、四十一歳で「染司よしおか」の五代目を継いだ。以来、植物染を専らとし、古典をもとに日本人の魂ともいえる伝統色を探求し続けている。昔のままに手間暇かけて染められた自然の色は、人工的な色を見慣れた私たちの感覚を目覚めさせ、本来いるべき場所に連れ戻してくれる。

 

                   ◇

 

 京都・伏見区の棟割り長屋を改装した工房を訪ねると、前庭に胡桃や栗、椿など植物染に用いられる木々が大きく育ち、この春、種をまいた蓼藍が若葉を出していた。染場では、江戸時代以前とほとんど変わらない染めの作業が黙々と行われている。

 

――化学染料が主流の時代に、なぜ古来の植物染に戻ろうと思われたのですか。

 

初代と二代目が染屋を営んでいた江戸時代から明治の初めまではまだ植物染でした。産業革命後に化学染料が開発されて、三代目の頃から京の染屋はみんな最先端の新しい色を取り入れていったんです。それは良い悪い関係なく、時代の変化だった。その後を継いだ父は大学で化学染料を学び、何でも科学で理解しようとする人でしたが、戦後、正倉院の宝物が一般公開されるようになって、古代の染織品や貝紫の研究に没頭し、天然染料にも力を入れていました。天然藍も化学藍も化学的には同じ色という考え方でしたね。

私は、大学に入った七〇年頃、工場排水で汚染された多摩川が泡だらけになっているのを見て、科学科学というけれど、人間が自然をないがしろにして欲望のままに走ってきたツケが回ってきたと思っていた。科学に対する矛盾を感じていたんです。

 

――もともとジャーナリスト志望だったそうですね。

 

ともかく染屋を継ぐのがいやで、大学を出てから美術図書の出版に進んだんです。うちの家は子供の頃から美術工芸の本や骨董の類がたくさんあって、祖父も叔父も日本画の絵描きだったので、人が集まると絵や美術の話ばかり。遊びに行くといえば、父は子供たちを京都や奈良の博物館に連れて行って、僕らをほったらかして好きに見ているような人やから、美術はとても身近だった。

仕事で日本や海外の染織品を調査したり、美術館を訪ねたり、撮影と称して間近に美術品を見るようになって、昔の染織品の方が新しいものよりはるかに素晴らしいのはなぜだろうとずっと思っていました。植物で染めた色は数百年経ってもいきいきとして美しい。だから家業を継ぐことになった時、信条として化学的なものは使いたくない、手間がかかってもすべて自然のものに戻そう、本物を染めようと心に決めたんです。

 

 

自然から美しい色を汲みだす

千年前の職人が手本 

 

――工房で染めたものを見せていただくと、植物染は色に奥行きというか重なりがあるように感じます。

 

 そう。植物染料で染めた色は深みがあって、奥底から光を放っているように見えます。どんな色でも簡単に染められる化学染料と違って、植物染は何日もかけていくつもの工程を経て染めるので、染料が繊維の芯まで届いているからかもしれない。自然の成分にはまだ科学で は読み切れていないものもいろいろ含まれているだろうと思う。そういうものが大事なんやね。

 

――古来の染色法をどうやって再現されたのですか。

 

 歴史的なものを読むのは好きなので、いろんな文献を読んでいったんです。日本は、「正倉院文書」とか「延喜式」とか、古い文献が非常によく残っています。平安時代の律令を記した延喜式には、染色の記載があって、例えば、綾織の絹一疋(二反)を深い黄色に染めるには、刈安をどれぐらい使ってどういう手順でやるか簡潔に書かれている。料理のレシピのように詳しくはありませんが父の代から腕を磨いてきた染師の福田伝士さんと一緒に「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤しながら、当時の染色技法を探っていきました。

古典の植物染に学ぶのは、いにしえの職人が紅花の一つの赤を出すために何千回何万回と失敗をしてやっと手に入れた結果を残してくれていると思うからです。われわれはそれをいただいているだけ。古典を勉強することは、遠回りのようで近道なんです。

 

――いにしえの職人に学んでいったわけですね。

 

そう、やるなら徹底してやった方がいい。発色を促す媒染液の灰は庭の竈で稲藁や椿の生木を燃やして作るし、水も水道水ではなく、地下百㍍まで掘って地下水をくみ上げています。鉄分が少なく清らかな水は、鮮やかな彩りに染まる。飲み水や料理もみんな地下水です。昔に帰るというのは、けっこう難しいことだけど、それが楽しいというか。

染料となる材料を手に入れるのも大変な努力を払っています。植物染料は漢方薬として使われるものが多くてお金もかかる。毎年、紅花は山形や伊賀上野から、紫根は大分、刈安は伊吹山、藍と稲藁は工房近くで有機農業を営む農家の方にお願いして分けてもらっています。伊賀上野で紅花は作られていなかったのだけど、「延喜式」に租税で納める植物として記録されていたので、良いものができるのではないかと農家の方を説得して作っていただくようになったんです。

 

  平安時代の「かさねの色」は

  日本の色の原点

 

――往時の染色法で再現された「源氏物語の色」を展覧会で見て、めくるめく華麗な彩りに胸がときめきました。

 

源氏物語の原文を何度も読みながら、紫式部の色彩感覚はすごいなぁと思って。染屋として源氏物語に描かれている色がどのようなものかを読み解いてみたかったんです。染料をどう使うかは非常に実務的なことだけど、どう表現するかは文学やね。それで源氏物語五十四帖に沿った色の見本を作ったり、ある場面を抜き出して表現してみた。三百色余りですが、納得のいく色 を出すために二十年かかりました。

平安時代は今でいう十二単のように何枚も衣を重ねて着る「かさね衣装」が登場し、「かさねの色目」が大切にされました。その色づかいや美意識は日本人の色の原点だと思う。

 

――平安時代の貴族は色に対してどんな感覚を持っていたのでしょうか。

 

飛鳥、奈良時代は中国の隋や唐の様式を取り入れることばかり考えていましたが、平安時代に菅原道真が遣唐使を廃止してから、日本独特の自然観が出てくるように思いますね。つまり季節感をどう読み取るか。平安時代の貴族の一番の教養は季(とき)を感じるかどうかなんです。

 源氏物語にも何か所か「季に合いたる」衣装の色が描写されています。例えば「野分の巻」で、嵐の後に夕霧が光源氏の住まう六条の院を見舞うと、庭で若い女房たちが、紫苑や撫子、女郎花の色を着て、さすが「季に合いたる」装いをしているとほめています。

「桜のかさね」なら、下に濃い紅色、上に透き通るような生絹(蚕が吐いたままの糸で織った織物)を重ねて、光の透過によって下の紅色を浮かび上がらせて桜色に見せたり、「梅のかさね」は蘇芳染の赤で1枚ずつ繧繝風(濃淡のグラデーション)に重ねたり、配色の妙を楽しんでいたのだろうと思います。

 

――当然、恋のかけひきにも…。

 

 もちろん、かさねの色のセンスが決め手になる。結婚前の貴族のお嬢さんは家族の男性以外には直接顔を見せない。外出する時も御簾のかかった牛車に乗っていますから、今日の葵祭の斎王代のように美しい顔を見ることはできません。でも御簾の裾からちらっと袖や裾を出す「出衣(いだしぎぬ)」をして、センスの良さをアピールしていたんです。男性は「なんと葵の季節にふさわしいかさね色!美しい人に違いない」と想像をふくらませて、歌のラブレターを出す。さまざまな色に染めた和紙で季節の色をかさねたり、香をたきしめたり、恋のゲームを楽しんだわけです。

 

――日本の伝統色は、同じ紫でも紫苑、藤袴、桔梗…と美しい名前の紫が何十色とある。平安の人はその色を見分けてコーディネートしていたのかと驚きます。現代人はそういった繊細な色を見分ける力がなくなっているのではないでしょうか。

 

自然になぞらえるという精神性がなくなったということかな。今は何でも人工的すぎるでしょう。当時は季節の移ろいを見て感じて、それに準じた色を着る、あるいは生活の中に取り入れることがたしなみでした。古今和歌集を読むと、恋の歌や生活の歌もありますが、自然の美しさを賛美する歌の方が多い。

       

  歳時記の暮らしを大切に

 

――自然と一体だった平安時代の色彩は、私たちが忘れてしまった感覚を呼び覚ましてくれるように思います。吉岡さんの日常生活のこだわりは何ですか?

 

こういう仕事をしていると、自ずと生活が歳時記のようになってくるね。家業を継ぐ前は出版の仕事をしながら、電通に頼まれてカレンダーやコマーシャルフィルムのアートディレクターをしたり、地下鉄の装飾をしたり、ものすごいスピードで動いていたでしょう。ここに戻ってきたら時間が止まったようや。

春は藍の種をまいて、夏になると藍や紅花の収穫をして、藍染めが最盛期を迎える。秋には、刈安や団栗が届き、稲藁を燃やして藁灰を作るというように、1年が歳時記のように季節に合わせて循環しています。世の中に追い立てられず、自分のリズムを曲げなくていいのが一番良い。仕事をふくめて大事にしている年中行事には、父の代から五十年近く続けている東大寺のお水取りに使う色和紙作り、薬師寺花会式、それから祇園祭、石清水祭に奉納する御花神饌作り、正倉院展、春日若宮おん祭があります。

最近、旧暦が見直されているらしいけど、平安朝の精神性に戻っているんやね。日本ほど自然が豊かで繊細に季節が移り変わっていく国はないのでは。そのことに感謝の気持ちをもたなければならない。もっと自然を尊び、古くから受け継がれてきた美しい伝統を次の世代に継承していかなければと思います。

 

《プロフィール

 1946年、京都市生まれ。73年、早稲田大学第一文学部を卒業後、美術図書出版「紫紅社」を設立。88年「染司よしおか」の5代目当主を継承し、薬師寺「玄奘三蔵会大祭」での伎楽装束45領を復元、東大寺伎楽装束を制作するなど、日本の伝統色の再現に取り組む。2008年には成田国際空第2ターミナルビル到着ロビーのアートディレクターを務める。2009年京都府文化賞功労賞受賞、2010年第58回菊池寛賞受賞、2012NHK放送文化賞受賞。

主な著書に「日本の色辞典」「源氏物語の色辞典」(紫紅社)「千年の色」(PHP研究所)など多数。

 

(写真:片山通夫氏 写真提供:紫紅社 文:赤坂志乃/Graphic Magazine Lapiz2012号春号)